先週5日、お隣石川の能登地方で地震がありました。
被害に遭われた皆様、ならびにそのご家族の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
富山も震度4と、珍しく大きな揺れを感じました。
私はその時、築70年以上の古民家にいました。
揺れましたが、そんなに怖いと感じませんでした。
元々、しょっちゅう揺れていた千葉で育ちましたので、
揺れには慣れているのかもしれませんね。
古民家には「伝統構法」と言って、
揺れてもしなって力を逃がすような造りになっているものもあります。
同じ築年数でも、単に古くて老朽化した家と、柱や梁が大きな古民家とでは、
大きな違いが出ているのではないかと思われます。
倒壊してしまった家があると報道されていましたが、ぜひ、築年数だけで判断せず、
どういう家が倒壊してしまったかを分析して今後に生かしていただきたいと思います。
報道で、実家を失われた方が涙ぐまれて話していた姿が、一番心に残りました。
というのも、私があまり「家」というものに執着していていないからか、
そんな冷めた自分と比較して、そこまでつらい思いをされていることに心を打たれるのです。
「家」は「衣食住」生活のためになくてはならないものの筆頭ですが、
こだわらなければ、アパートなどで割りと簡単に確保できます。
がんばって自分好みのものを見つけよう、作り出そうとすると、
大変なお金と労力がかかるものです。
そして、大きな「こだわり」が生まれます。
それが「愛着」「地域性」「慣れ」と結びつき、土着し、強い「縛り」が生まれます。
それ自体は悪いことではないのですが(むしろ一般的には良いことのように映るもの)、
自然災害や事故、もっと広い目で見ると、人口減少による地域の衰退や戦争等の混乱などで、
生涯私たちは同じところに留まるとは限りません。
結婚や転勤などのイベントで、コロコロ住まいが変わる人もあります。
生涯変わらず、安穏と、同じところにとどまり続けることは、
幸せと思われるかもしれませんが、いつまでもその平和が続くものでもありません。
むしろ、その平和や幸せがいつ崩れてしまうのかということに、
怯える恐怖を持つことさえありうるのです。
自然災害に備える、という題で書きましたが、変化に備える、
と言ったほうが適切かもしれません。
おそらく、これから世界はどんどん変わってゆきます。
コロナやウクライナ侵攻などで、十分体感されたでしょう。
不幸なこともいろいろ起きると思います。
どこに飛ばされてもいいように、
様々な「備え」を日々築いていくことが必要になってくるのではないかと、私は危惧しています。